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燦々会の皆様方、薫風香るこの頃、ますますご清栄のことお慶び申し上げます。
先月私の不思議の国 ベルーへ行ってまいりました。専門家と共にアンデス文明の一部を堪能いたしてきました。
なお、ナスカの地上絵はセスナ機で空中から見るのですが、その飛行場で図らずも曽根ご夫妻とばったり会ったのです。この広い世界の中で、その一瞬に邂逅する不思議そんなこともあるのですね。世界は広くまた狭いのだと思い知ったのでした。
志村兄には、「北欧旅行」のこと大変結構でした。ありがとうございました。
「アンデス文明見聞記」拙文お暇な時にでもお読みください。
アンデス文明小見聞記
◆はじめに
成田を発ちペルーの首都リマ到着まで20時間余、かなりの長旅であった。日付変更線と赤道を越え、海と国を越え、時を越えてたどり着いた私の不思議の国ペルー、どんな人々が住み、どんな歴史を見せてくれるのか、そして長く持ち続けてきた好奇の心を満たしてくれるのだろうか。
ペルーは大きく四つの地域に分けられるだろう。2000kmと南北に長い国土は、アンデス山脈を中心とした6000m級山岳地帯、その西側の高山地帯と太平洋沿岸部そしてアンデスの東側アマゾン地帯とである。この度訪れた標高3400mのクスコは2400mのマチュピチュと同じ高山地帯に位置し、薄い空気と強い日射が特徴だが、リマとナスカは太平洋沿岸地帯に位置しナスカは砂漠地帯である。ナスカは太平洋に近いのだが、沿岸を低温のフンボルト海流が流れているため降雨が少なく砂漠化している。このように高山地帯と沿岸部との両地域の自然環境は地理的条件も気象条件も大きく異なり、それぞれの文化と歴史に影響を与えるだろうし、そんな中でインカ帝国の統一も進められたのであろう。
◆クスコとマチュピチュ
いよいよアンデス文明の遺跡巡りが始まる。その最初はインカ帝国の首都であったクスコである。高山地帯にひらかれたこの町は、太陽に近く強い陽射しと清涼な大気、そして歴史的遺産の多い街であった。「太陽の神殿(コリカンチャ)」を中心としたインカ特有の黒色の安山岩石組みとレンガ色屋根に統一された清楚な街並みに、また看板や広告塔もなくオレンジ色一色の夜景などに、ここに住む人々の心情が映されているようにも感ずる。
しかしこの国の歴史には、16世紀インカ帝国がスペインによって滅ぼされ植民地となった悲しい歴史があった。安山岩石組みでできた太陽の神殿の基礎の上に建つスペインが造ったアーチ式教会は、構造物としても色彩的にも二つの文明をモザイク化したものとなって、不調和中に調和を強いられる感がある。しかし鉄器を使わず多角形の石組みを摺り合せる驚く程の石工技術を目に出来ることや、透明感のある空、強い日差しに映える周辺の鮮やかな芝生の緑やそしてレンガ色屋根の拡がりが、街全体を落ち着かせてくれる救いがあった。
クスコを発って車と列車を乗り継いで、マチュピチュに向かう。いよいよあの空中都市マチュピチュを目の前にすることとなる。アマゾンの際に立つアンデスの山々を背景に、そして雨季の終わりらしく濁流のアマゾン川源流に抉られて空中にそそり立つマチュピチュ、この旅の大きな目的の一つである。青い空が近く感ぜられる。緑一色の山々を背景にした石造り遺跡、写真などで何度も見たワイナピチュ(若い峰)と空中に浮かぶ遺跡とが目の前に広がっていく、凄い。
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