古希人の独り語りT 桜花のこと 二題 by 相原

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管理人 ― 2010-03-03 21:10
さいた さいた さくらが さいた の一文を読んで思い出した事があります.
それは 国民学校1年に入学して最初の読み書きで習ったのが,先の「さいた さいた」か,それとも「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」だったか,が判然としないので,だいぶ昔ある事を契機に調べた思い出です.
そのある事とは,ご存知のむきもあろうかと思いますが,「朝日ジャーナル」に掲載されていた赤瀬川 原平の「桜画報」最終回での一件です.例の「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」のイラストのパロディーで太陽を朝日新聞のロゴに描き変えて「朝日は赤い,白い朝日はない,せめて桜色でなければ(原文のままでない)」との趣旨のコメントがつけられていました.読者の誤解を恐れた朝日新聞はかの「朝日ジャーな」を書店から即刻回収しました.当時小生は「ジャーナル」を新聞と一緒に配達しもらっていましたので,回収を免れ手元に残りましたがいつの間にか紛失してしまいました.それはどうでも良いのですが,問題は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の印象が強く,最初に習ったはずだという「アカイ アカイ アサヒ」が思い出せません.その代わり「コマイヌサン ア コマイヌサン ウン」は鮮明に覚えていました.そこで「コマイヌサン」をたよりに調べてみて,ヨミカキの最初に習ったのが「アカイ アサヒ」だったことが判明はました.
この記憶の混乱は次のような事ではなかったかのではないでしょうか.1年入学を前にして,前年度の教科書に目を通し,勉強し慣れ親しんでおくことは当時としても普通だったのでしょう.小学校が突然国民学校に変わり教科書も別になったのですから一年生としては戸惑ったのではないでしょうか.記憶が曖昧だったはそのような理由からだったのでしょう.
ところで一年生の12月には無謀な戦争が始まりました.当時の児童は少国民などと称されて軍国教育をされましたね.孫たちにはこの様な思いはさせたくないものです.

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