古希人の独り語りT
桜花のこと 二題 相原 孝志「酒がなくてなんの桜かな、花見に酒はつきもの」と、兄貴分と舎弟分とで向島の花見に酒を売って一儲けしようと目論んだ良く知られた落語の噺だが、手持ちの五銭のやりとりで商売用の樽酒を飲み干してしまう実効実利を伴わない商売の話である。この噺に準え、著者 笠 信太郎氏は、高度成長期の日本経済を危惧した「花見酒の経済」を20年ほど前に著した。当時の土地バブルが背景にあるのだが、平成の今になって彼の言う「日本独自の経済」が確立されたといえるだろうか。かなりの犠牲と引換えに経済大国とはなったものの、自立精神を持たぬ国家となって、米国の金融バブルといずれ予感される中国バブルとに振り回されていくのではないのかと思ってしまう。そして昨今の政治は「花見酒の政治」なのかと問いたい気持ちだ。
その2 さいた さいた さくらが さいた
「さいた さいた さくらが さいた」 これは国民学校一年生の国語教科書第一頁に書かれていたものと思うのだが、どんな頁だったのか記憶は定かでない。山の神が野に降りてくる頃、厳しい冬に耐えてきた桜木は、そのご褒美に桜花爛漫を頂くのかもしれないと今では思えるのだが、ホヤホヤの一年生が「さいた さいた さくらが さいた」をどんな気持ちで読んだのか今では知る由もない。そして「さいた さいた……」を読んだ時から、志学、而立、不惑、知命、耳順、還暦、古希と幾度となく人生の節目を経て、今ここに至った長い人生を振返らざるを得ない気持ちになってしまう。しかもそれぞれの節目をどれほどまでに全うできたのかと思ってしまう。人生の最後の仕上げのため残された時間は十分ではないが、諦めず自助あるのみと思うこの頃である。
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