女川原発の見学記 by 内山
2017-06-13


                               女川原発の見学記

加藤和明さんから燦燦会メンバーに「女川原発の見学」のお誘いがあり、参加を願い出た。
仕事上、種々の工場の自動制御システムの設計に関わり、その中に、「緊急シャットダウン・システム」も含まれていたが、原発ではどうしているのか関心があった。(出発前、インターネットで調べて、その内容は大体把握できたが、現場を見たいという思いは更に強くなった)
(1)原発と被災地の見学
5月17日は女川原発見学、18日は岩沼市の被災跡地と相原邸の見学という内容であった。
・原発では地震を感知したら、@制御棒をすべて原子炉内に差し込み、原子炉の核分裂反応を止め
る⇒A炉心を冷却し続け、温度を下げ、冷温停止状態にする。という操作を行う。このAの段階で
は、冷却水循環ポンプを駆動する電力が必要で、外部からの電力が途絶えても、非常用ディーゼル発電機から電力を得る仕組みになっている。
・2011年3月11日14時46分に発生した大地震と津波が東北地方を襲い、東京電力の福島第
1原発(原発4基)では冷却水循環ポンプ用の非常用ディーゼル発電機が起動したが、津波の浸水で止り、冷却機能を失い、水素爆発を起こし、放射能汚染を引き起こした。周辺に多大な損害を与え、炉心はメルトダウンし、廃炉に多くの年月と、多くの予算を注ぎ込む事になっている。
・一方、東北電力の女川原発では非常用ディーゼル発電機が正常に起動し、冷却系統が正常に働き、原子炉を冷温停止させた。今回の見学で知った事だが、驚いた事に、女川原発では、法律で禁止されていたにも関わらず、避難してきた町民364人を約3か月間、体育館に受け入れ、避難場所の役割を果たしていた。この件で、女川原発が「法律違反の咎め」を受けていないのは救いであろう。
・福島第1原発では、津波の高さを5.7mと予測し、敷地の高さを10mにした。一方、女川原発
では津波の高さを9.1mと予測し、敷地の高さを14.8mにした。
・福島第1原発では、襲った津波の高さは予想を超える13mであったので、津波で浸水した。また、計装用電源もダウンしたので、炉内の状況の把握ができず、盲目状態に陥った。
・なぜ、東京電力は津波の高さを低く予測したのか?歴代の社長が文系で独占されている会社では、採算や政府への説明のし易さが優先され、安全に対する配慮が不足した可能性があると推定している。また、福島は東京電力の地元でないし、地元出身者が建設に当たっていない事も安全に対する配慮の不足になったか?
・東北電力は女川原発の建設に当たり、過去に、この地区を襲った大津波を幾つも調べ、過去最大と言われる、平安時代初期の「貞観津波」に耐える敷地の高さにした。原発では海水を間接的な冷却水として利用するし、建設時の機資材搬入を考慮すれば、敷地の高さは低い方が良いが、津波による浸水を避ける事を優先して14.8mの高さに決めたので、津波の高さより敷地が高く、浸水を免れた。冷却用の海水の取り組み口は津波の引き浪時にも海水が確保される構造にしていた事にも感心した。
・見学させて頂いた時、更に、安全性を高めるため、@14.8mの敷地の上に更に9mの高さの防潮堤を建設する、A建屋や配管系統の耐震性の向上対策を行う、B非常用ディーゼル発電機を山の上に増設する等の工事が行われていた。
・地震後、IAEA(国際原子力機関)は女川原発の調査を行い、「震源からの距離、地震動の大きさ、など厳しい状況下にあって、驚くほど損傷を受けていない。」と評価し、世界原子力発電事業者協会(WANO)は「原子力功労者賞」を授与している。


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