平成23年5月
大津波からの必死の脱出
相 原 孝 志
大津波に巻込まれ 必死の脱出を試み、何とか一命を取止めることができた。この短期間の経験は大変厳しいものではあったが、普段ではとても得られぬ貴重なものでもあった。しかもその経過の中で感じたことや考えたことは諸々あって、それらが今後の人生にどんな影響となって表れてくるのだろうか、改めて人生が変わるかもしれぬ岐路に立たされているようにも思う。
◆大震災との巡りあい
平成23年3月11日はやや肌寒の金曜日であった。期限間近だった確定申告を終え、もう一つの懸案であった町内会用務の法務局への手続きのため当日午後出掛けたのがこの度の震災と出会う切欠となったのである。後日でもよかったものを何故この日に行動開始したのだろうか。用事を全て済ませ我が家近くの観音堂近くを走行中、地震警報を聞いた。間もなく車が左右に大きく揺れ運転できない。停車し揺れが納まるのを待つ。観音堂本堂は大きく傾き、正面扉や側壁が壊れ倒壊寸前の状況となってしまった。さて町内会長としては、皆の安否が気になる。
◆安否確認か避難指示か
車を自転車に乗り換え町内を見回る。安否確認もさることながら、津波襲来を予測して避難指示とすべきだったのではないのか。結果論だが、避難所への一次避難は無理だったし避難すべきではなかったと思う。何故なら、避難場所である学校までは途中高所のない2〜3Km
セコメントをする