大津波からの必死の脱出 by 相原
2011-05-23


程の平坦な避難経路なのである。避難を強行した場合、かえって津波に遭遇する人々が出ることとなったと思う。この度の震災を経験して、改めて平坦な地域での津波に対する一次避難をどうすべきか考えておかなければならないことは確かとなった。従来からの自主防災体制だけでは不十分であり、抜本的な対策見直しが必要である。


アッ津波だ その時

車とともに津波に飲み込まれた経緯を記しておかねばならないだろう。町内を一巡し自宅に戻って間もなく、門前に異様な水が流れ込んできているではないか。なんだこの水。海側をみれば大きな波が押し寄せてきている。津波だと分って一瞬思ったのは巨大津波の脅威ではなく、買ったばかりの車がイタマシイ(もったいない)ということだったのである。車諸共逃げ出さなければならないと、飛び乗りエンジンスタート急発進、水位はまだ低い逃げられるかどうか、命の危険はまだ感じていなかったと思う。水流が急に早くなったようだ、車が浮上したと感じた瞬間ハンドルが私の言うことをきいてくれない。操縦不能を直感し、補助席側のドアより浸水し始め身の危険を感ずる。ガラス窓を開け間もなくエンジン自動停止。車は私を乗せて流れ始まっている。どうしようもない、何か動転しているようだが、頭の半分ではこれからどうすべきかクールに考えてもいるらしい。その証拠に右手の人札指を窓際の流れに突っ込んで味を見たのである。冷たくショッパイ、これは海水だなと妙に納得したのだった。私を乗せた車は幸いにも我が家の屋敷林(イグネ)の杉の大木に流れ着き止まった。周りの水流はかなりの速さだ。この水中に今脱出したのでは流されてしまう。ドアに腰掛け時を待つこととしよう。既にこの時ドアは内側から開けようにもびくともしない。ちょうど手頃な松丸太が流れてきた。しがみつき車外に脱出、冷たい、しかも背が立たないのだ。下手に動かず流れに身を任せ、離れた雑木林にたどり着く。あ、助かったんだ、危なかったんだと身震いした。自分の屋敷内故、状況は分かっていたつもりだったが、母屋までの水中徒歩前進は逆流でもあり難儀なことであった。掴まるもののない庭を過って、ようやく玄関に到着、屋内に入って寒さがどっと出てきた。震えが止まらない。自分の思うことが実行できない。このままでは低体温症とかになるのだろう。大急ぎで旧式石油ストーブに点火、脱衣し始めたがなかなか脱げない。下着が脱げないのだ、ハサミで切り開きたいほどのもどかしさだ。ストーブを抱きかかえるように暖をとる。流されてから何時間経過したのだろうか。停電だ、ラジオをつけようやく外を見る。流れはゆったりとなったようだが海から陸側に流れ、色んなものが流れている。昭和16年の阿武隈川堤防決壊による洪水の流れと逆方向だなと妙なことに気が付いた。夕刻の我が家は大海の中の孤島となってしまっている。ようやく熱い緑茶を啜る、暖かさが身に染みる美味い。ようやく命が危なかったことを痛感する。改めて我が家の前は大海原、満々と湛える津波海の中の我が家、夕闇が迫る。電話不通、携帯浸水、連絡方法が無くなってしまった。


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