大津波からの必死の脱出 by 相原
2011-05-23


改めて薄暗い家中を調べる。ギリギリのところで床上には浸水していない。地下室には換気ファンからだろうか浸水しているようだ。壊れた瀬戸物や落下した絵など被害甚大だが、これは止むを得なかろう。建物は母屋も納屋も外観上は被害がなさそうだ。5年前に建てた母屋は、洪水対策のために考えたコンクリート製高床式基礎がよかったんだと思う。

あまり食欲もなく真っ暗闇の中、乱雑に散らばった部屋はそのままに、とにかくラジオを聴きながら就寝したが中々寝付けない。床上浸水を回避でき自分の寝床に寝れるだけでも良しとしなければならない。それまでのことを一通り思い出してみた。エンジン停止前に窓開放は正解だったろう。また津波に気がつくのが遅かったのだが、これは町内見回りのため車から自転車に乗り換えた際ラジオを携帯しなかったからだが、あれだけ大きな地震であれば、大きな津波を予想しなければならない筈だった。貞観津波のことは知ってはいたが、この地域は津波とは関係ないとの先入観があったのだ。自分の知識と認識との間の乖離は何とも歯がゆい限りだ。


夜が明けて

312日朝早々に目が覚めてしまった。晴れている。改めて外を見て驚いた。何時の間にやら我が家の入口通路上に巨大な一物・緑色の大きなタンクが横たわっているではないか。昨日は気が付かなかったが何処から流れてきたのだろう。大海の孤島、水位は下がってはいるがまだまだ水深あって隣家には渡れない。タンクあり瓦礫や塵芥多く道路も冠水して、舟でなければ危険だ、無理はすべきでない。

家族とも町内の人たちとも連絡できない、連絡方法遮断、情報孤立状態だ。家族は無事か、町内はどうなってしまっているのか知る由もない、人々の安否がとても心配だ。停電、断水、NTT電話不通、携帯も冠水不通、LPガス停止と無い無い尽しだが、残っているラジオだけが頼りだ。後の祭りだが、車から脱出する際携帯を頭上の帽子の中に入れる浸水対策があったろうが、命からがらのあの時はそこまで気が回らなかった。津波最高水位は我が家門前で約2b、痕跡が残っている。これはギリギリで床上浸水のならない限界だったが、地下室には換気扇から浸水しこれからの排水が大事だ。

さて孤島となった我が家での生活は可能だろうか。まずは食料在庫調べ、玄米と味噌あり、取り置き水有、灯油備蓄あり、カセットコンロとガスボンベ有、乾物類有と一週間程度の耐久生活は可能と判断される、まずは一安心。


救助を求めて 白旗を


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